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平安時代(12) [まとめプリント]

今日から2回にわたって、武士(ぶし)を取り上げます。

武士というと、チョンマゲでカタナを持っている姿を思い浮かべませんか?
それはズバリ、江戸時代の武士です。
時代劇の舞台はほとんどが江戸時代なので、
どうしてもそのイメージが強くなってしまいますよね。
(え?時代劇、観ないですか…??)

今から見ていくのは、武士のおこりです。
まだまだ江戸時代の武士みたいなスタイルではありません。
では、はじまりのころの武士とは、一体どんな様子だったのでしょうか。
一緒に見ていきましょう!

平安12.jpg

まずはプリントの左側、①地方政治の変質と武士 です。

前々回前回と、2回にわたって地方政治の変質を取り上げました。
このことは、武士のおこりと密接な関係があるので、簡単におさらいしておきましょう。

 浮浪・逃亡・偽籍などの横行により戸籍・計帳制度が崩壊
    ↓
 政府、財政難に陥る
    ↓
 10世紀、政府は国司に税の徴収を請け負わせ、その見返りとして任国の統治を国司に一任
    ↓
 国司はオイシイ職業となる
    ↓
 成功・重任、さらには遙任が繰り返され、ガメツイ受領まで出現

ザッとまぁこんな感じです。
この流れ、きちんと理解できていますか?

要するに、このころ地方の政治は乱れているのです。
かといって、地方の人々も、黙ってそれに耐えるばかりではありません。

国司のやりたいホーダイに抵抗するため、
自分の土地を維持し、広げるため、
治安を守るため、

地方に暮らす豪族や有力農民たちは、それぞれ武装するようになるのです。
これが、武士のおこりの1つのパターンです。

結果、各地で争いが発生します。

それを鎮圧するのが、押領使(おうりょうし)や追捕使(ついぶし)です。
盗賊を追いかけて逮捕したり、内乱を鎮圧することを任務とする令外官(りょうげのかん)で、
はじめは臨時で置かれたのですが、承平・天慶の乱(じょうへい・てんぎょうのらん)以降、常置となります。
令外官については、平安時代(1)のプリントにまとめてありますので、参考にしてください。

押領使や追捕使に任命されるのは、武芸を身につけた中級貴族や下級貴族たちです。
(地方の有力者が任命されることも多々あります)
その多くは、源や平などの姓を賜って臣籍降下(しんせきこうか)をした賜姓貴族(しせいきぞく)です。

彼らのなかには、地方の争いを鎮圧したあと、そのまま現地にとどまり、
地元の武装有力農民などを配下に入れ、土地を開発し、所領を確保する者もいたようです。
これも、武士のおこりの1つのパターンです。

つまり、
地方豪族や有力農民が武装するパターン、
押領使や追捕使に任命された中級・下級貴族が土着するパターンなど、
さまざまな形で武士は誕生したのです。

ちなみに、武士とはもともと、武芸をもって朝廷に仕える武官(ぶかん)を意味する言葉です。
今回取り上げているような武士のことを、はじめは兵(つわもの)と呼んで区別していたようです。

*   *   *

やがて朝廷や貴族たちは、武士(兵のことですよ!)の活躍を耳にするようになり、
彼らを様々な場面で奉仕させるようになります。

中央の貴族のなかには、自身の警護にあたらせる侍(さむらい)として、武士を雇う者が現れます。
また地方では、武士たちを国侍(くにざむらい)として組織し、国衙(こくが)の軍事力としたり、
受領が、館侍(たちざむらい)という直属の武士として、彼らを組織するようになるのです。

なお、侍は、目上の人にお仕えする、という意味の動詞である「さぶらふ」が語源で、
もともとは主君の側近に仕える人全般を指したのですが、
やがて武士を意味する言葉として定着していったようです。

そして9世紀末、朝廷も武士を宮中の警備員として採用することとします。
滝口の武者(たきぐちのむしゃ)、または、滝口の武士(たきぐちのぶし)の設置です。

滝口とは、清涼殿(せいりょうでん、天皇の日常の住まいのこと)の北東にある場所の名称です。
彼らはここを詰め所にして警備にあたったため、滝口の武者と呼ばれるようになったのです。

ちなみに、1855年に再建された現在の京都御所(きょうとごしょ)でも、
滝口の場所を確認することができるんですよ!

P1010145.jpg

センスのない写真ですいません…分かりにくいですよね…
場所は、下の図の赤丸をつけた部分です。

kyoutogosyo_heimenzu.jpg
(財団法人菊葉文化協会発行『ポケットガイド1 京都御所』より作成)

現在、京都御所は、通年公開をおこなっています(特定の日は除く)。
平安京の内裏が再現された空間ですので、機会があればゼヒ一度訪れてみてください。
詳しくは、宮内庁参観案内をご覧下さい。

*   *   *

武士たちは、血縁関係などで結びつき、連合体を形成してゆきます。
これを、武士団(ぶしだん)といいます。
血のつながりのある親戚を中心に結成された戦闘集団、というところですね。
武士団の構造については、プリントの右側にまとめたのでのちほど。

やがて武士団は、カリスマ性のある人物のもとに集まるようになります。
これを、とくに大武士団(だいぶしだん)と呼んだりします。

では、大武士団のリーダーである、カリスマ性のある人物とは誰かというと、
桓武天皇の血をひく桓武平氏(かんむへいし)や
清和天皇の血をひく清和源氏(せいわげんじ)です。

なんてったって、天皇の血をひいてるんですよ?
めっちゃかっこいいじゃないですか!
カリスマ性むんむんじゃないですか!!

平安12-1.jpg

このような、大武士団の頂点に立つ人物を、武家の棟梁(ぶけのとうりょう)と呼びます。
また、武家の棟梁をはじめ、軍事をメインとする貴族は、
のちのち学者さんたちによって、軍事貴族(ぐんじきぞく)と呼ばれることになります。



次に、プリントの右側、②武士団の構造 を見ていきましょう。

・惣領(そうりょう)
 武士団の頂点に立つ人物
 一族のリーダーのことで、主人や首長などと表記されることもあります
   |
・家子(いえのこ)・家の子(いえのこ)
 原則、惣領と血のつながりのある家臣
 惣領のおじいちゃん・おばあちゃん、お父さん・お母さん、おじさん・おばさん、
 兄弟・子ども・孫などなど、いわば親戚を指します
   |
・郎党(ろうとう)・郎等(ろうとう)・郎従(ろうじゅう)
 惣領と血のつながりのない家臣
 田堵(たと)とか名主(みょうしゅ)などの出身者で、主従関係を結んで戦闘に参加します
   |
・下人(げにん)・所従(しょじゅう)
 武士身分ではない家臣
 馬に乗ることはできません

1人の惣領を頂点に、家臣たちが組織されているのが分かりますね。

*   *   *

では、③大武士団の構造 を見てみましょう。

②で見た武士団が、1人の惣領のもとに結集している様子が見てとれますね。
このような武士団の集まりを大武士団といい、
大武士団のリーダーを武家の棟梁と呼ぶわけです。

最後に、プリントに載せた「粉河寺縁起絵巻」(こかわでらえんぎえまき)の一部分を見てください。
真ん中には馬に乗った男性が、そしてそのまわりには3人の男性が描かれているのが分かりますね。
馬に乗れるのは、惣領・家子・郎党なので、真ん中に描かれている男性はそのいずれかだと考えられます。
そして、まわりにいる3人の男性は、馬には乗っていませんよね。
つまり、下人・所従クラスだと考えられます。

では、最後に解答を載せておきましょう。

平安12解答.jpg



次回は、地方で起こる様々な反乱を、
桓武平氏・清和源氏に分けてまとめてゆきます。

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画像出典
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%89%E6%B2%B3%E5%AF%BA%E7%B8%81%E8%B5%B7%E7%B5%B5%E5%B7%BB
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