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平安時代(10) [まとめプリント]

今日取り上げるのは、ややこし~いややこし~い荘園制です。
なかなか理解できませんよね~、これ…
私も高校生のころは、ナニがナンだかさっぱり分からなくて、ホントに苦手でした。
なので、分かりますよ!その気持ち!!

より多くの人に理解してもらえるよう、かみくだいた説明を心がけますので、しっかりついてきてください!
では、スタートです!!

平安10.jpg

はじめに、律令制度下の税制を、簡単に確認しておきましょう。
・ 課税対象……戸籍・計帳に記載された成人男子が中心
・ 徴税請負人…郡司(国司は行政担当)
・ 税の種類……租・課役(庸・調・雑徭)など
          租は6歳以上の男女に、課役はおもに成人男子に課せられる
このあたり、頭のなかでしっかり整理できていますか~?
ウロ覚えだという人は、飛鳥時代(10)でしっかりと復習しておいてください。

とにもかくにも、律令制度下での税制は、
・課税対象は人間(人頭税)
・郡司が徴税を請け負う
以上の2点を頭に入れておいてください。

平安10-1.jpg

8~9世紀に成立した律令制度ですが、時代が進むにつれ、ガタが来はじめます。
浮浪(ふろう)・逃亡(とうぼう)・偽籍(ぎせき)などの横行により、
課税対象である人間の居場所や性別が、きちんと把握できないという事態に陥ってしまうのです。
また、貴族や大寺社は、743年に土地の私有が認められたのをいいことに、
浮浪・逃亡中の農民なんかを使って、どんどこ荘園を拡大しまくります。
このままだと、国家は満足に税を徴収することができません。

そこで立ち上がったのが、醍醐天皇(だいごてんのう)です。
律令体制の再建(税のことは令に定められているので、令制の再建でもOK!)を目指して、
902年に延喜の荘園整理令を発令し、また班田収授を励行するよう命じるのです。

平安10-2.jpg

しかし、この年につくられた阿波国(あわのくに、現在の徳島県のこと)の戸籍を見ると、
5戸435人の男女の内訳が、男59人、女376人なんですよ。
イヤイヤ!いくらなんでも女多すぎダロ!!
男として生まれたけど、戸籍には女と登録することで、税負担を軽くしようとしたのでしょう。
そう、明らかに偽籍です、これ。
もうね、59人の男性には拍手ですよ…
頑張れとしか言いようがない…(涙)

というわけで、今さら班田収授を励行しろ!なんて言われても、
こんな戸籍じゃ、ちゃんとしようにもちゃんとできないわけです!!

結果、班田収授は、902年を最後におこなわれなくなります(以降のものは、史料上確認できていません)。
延喜の荘園整理令は、不徹底に終わってしまうのです。

このころ、三善清行(みよしのきよゆき)という学者が、
意見封事十二箇条(いけんふうじじゅうにかじょう)という意見書を、醍醐天皇に提出しています。
ここでは、班田収授の限界と、それによる地方政治の混乱ぶりなどが指摘されています。
10世紀初頭、律令体制は崩壊していたのです…



もちろん、このままでいいわけがありません!
政府はついに、税制の改革に踏み切ります!!

人間を課税対象としてきたこれまでの税制(人頭税)を廃止し、
土地を課税対象とする負名体制(ふみょうたいせい)を確立するのです。

さぁ~、ここからですよ!
ややこしいのは!!
気合い入れていきましょう!!!

課税対象が人間から土地に変わったので、
まずは公領(国の土地)を、名(みょう)または名田(みょうでん)と呼ばれる徴税単位に再編成します。
この耕作を請け負うのが、田堵(たと、田刀と表記することもアリ)と呼ばれる有力農民です。
なかには、国司と結んで大規模な経営をおこない、大名田堵(だいみょうたと)と呼ばれるものも現れます。

名の耕作を請け負う田堵は、負名(ふみょう)と呼ばれ、名にはその人の名前がつけられます。
たとえば、太郎さんが耕作を請け負う名は、太郎名とか太郎名田とか、そんな感じで呼ばれるわけです。

また、税の種類も、
租・庸・調や公出挙(くすいこ)の利稲(りとう)に由来する官物(かんもつ)と、
おもに雑徭に由来する臨時雑役(りんじぞうやく)とに一新されます。

これらの税を徴収するのは誰かというと、国司です。
負名は、名の耕作とともに、これらの税をきちんと納入することを、国司から請け負うのです。

ちなみに、負名は名の所有権を持ちません。
その土地の耕作を、国司から請け負うだけです。

でもね、ずーーっとその土地の耕作を請け負っているとね、
だんだん名に対する権利を強めていっちゃうんですよ。
だって、実際にその土地を経営しているのは、国司じゃなくて負名なんですもん。
こうして負名は、11世紀半ばごろには、
名主(みょうしゅ、なぬしと読んではいけません!)と呼ばれるまでに成長します。
これについては、またのちのち詳しく見ていきます。

負名体制を簡単にまとめると、以下の通りです。
・ 課税対象……名(名田)と呼ばれる土地
・ 徴税請負人…国司(郡司の役割は低下)
・ 税の種類……官物・臨時雑役

つまり、10~11世紀にかけて、
・課税対象は土地(地税)
・国司が徴税を請け負う
という風に、税制が大転換するのです。

平安10-3.jpg

これまで徴税は郡司がおこなっていたのに、
これからは国司が担うわけですから、国司たいへんですよねぇ…
よって政府は、その見返りとして、国司に任国の支配を一任します。
決められただけの税を、きちんと政府に納めさえしてくれたら、
あとは好きにしていいからねー!ということです。

いや~、なんだかガッポリ儲かりそうなニオイがぷんぷんしますよね~。
ゆえに、中級・下級の貴族たちは、こぞって「国司になりたい!」って思うわけです!!

そこで彼らは、我こそはと朝廷の儀式や寺社の造営などの費用を負担します。
これだけの費用を私が負担します!だから私を国司に任命してチョーダイ!!とゆーわけです。
この行為を、成功(じょうごう)といいます。
まぁワイロですよね、ワイロ!

成功の結果、念願の国司に任命されると、
任国で好き放題のウハウハライフを送ることができるわけですが、
このころ、国司の任期は4年です。
4年なんて、アッとゆー間に過ぎてしまいます。

こんなオイシイ仕事、4年じゃ辞めらんない!まだまだ続けたい!!と思うなら、
これまた成功をおこなえばよいのです。
成功の結果、再び国司に任命してもらうことを、重任(ちょうにん)といいます。
重ねて任命されるので、重任です。

成功と重任を繰り返すなかで現れるのが、受領(ずりょう)です。
受領とは、任国に赴く国司のなかの、最上席者を指します。
国司の四等官は、守(かみ)・介(すけ)・掾(じょう)・目(さかん)ですので、
守レベルの国司ということです。

これがもうガメツイのですよ!
たとえば、プリントの右側にある「③地方政治の乱れ」の、1つめの●を見てください。
・信濃守(しなののかみ)の藤原陳忠(ふじわらののぶただ)
・尾張守(おわりのかみ)の藤原元命(ふじわらのもとなが)
これが、ガメツイ受領の代表格です!
詳しくは、988年のゴロ合わせをご覧ください。

11世紀後半になると、任国の統治も軌道に乗りはじめ、
わざわざ任国へ行かなくてもよくね?と思う受領も現れるようになります。
一族の人間や家来筋に当たる人間などを、かわりに任国へと派遣するのです。
この代理人を、目代(もくだい)といいます。

目代は、在庁官人(ざいちょうかんじん)と呼ばれる現地の有力者を指揮し、任国の統治にあたります。
目代と在庁官人で構成される任国の国衙は、留守所(るすどころ)と呼ばれます。

この行為を遙任(ようにん)といい、このような国司を遙任国司(ようにんこくし)といいます。

いや~…やっぱり荘園制、ややこしいですね…
ちゃんと理解できましたか?
ここまで理解していないと、次の荘園公領体制(しょうえんこうりょうたいせい)には進めませんので、
頑張って頭を整理してくださいね!!

それでは、最後に解答を載せておきましょう。

平安10解答.jpg



次回も荘園制を取り上げます。
頑張りましょうね!!

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