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894年 遣唐使の派遣を停止する [年号のゴロ合わせ]

前回は、阿衡の紛議を取り上げました。
阿衡の紛議とは、藤原基経が宇多天皇に勅書を撤回させ、さらに橘広相の排斥に成功した事件でしたね。
このとき事態を収束させたのは、学者の菅原道真(すがわらのみちざね)です。
今日は、その菅原道真が建議した、遣唐使派遣の停止について見ていきます。



藤原基経が亡くなると、宇多天皇は関白を置くことなく、自ら政治をおこなうようになります。
藤原基経の息子である藤原時平(ふじわらのときひら)を、
まだ若いということもあって、関白に任命しなかったのです。
宇多天皇は、よっぽど関白という存在に懲(こ)りていたのでしょうね…(笑)

このように、摂政や関白をおかず、天皇自らがおこなう政治のことを、
親政(しんせい)とか天皇親政といいます。
宇多天皇の親政は、当時の元号をとって、とくに「寛平の治(かんぴょうのち)」と呼ばれます。

寛平の治では、優秀な人材がたくさん登用されます。
その1人が、菅原道真です。

菅原道真は、大学で紀伝道を教える文章博士(もんじょうはかせ)として活躍するほどの秀才で、
阿衡の紛議を収束させたあたりから、宇多天皇の信頼を得るようになります。
もしかしたら宇多天皇には、
菅原道真を重用することで、藤原北家の力を抑えてやろう…
なんて意図もあったのかもしれません。

さてその菅原道真。
894年に遣唐大使(けんとうたいし、遣唐使のリーダー)に選ばれます。
遣唐使については、奈良時代(5)にまとめてありますので、そちらもご覧下さいね。

遣唐使は、838年に派遣されて以来、50年以上途絶えています。
そこで、久しぶりに菅原道真をリーダーとして派遣しようということになったのです。

なぜこのタイミングだったのでしょうね…
ひょっとすると、宇多天皇の信頼あつい菅原道真を遠いところへ行かせてしまえ!という、
藤原時平の陰謀もあったのかもしれません。

ではここで、遣唐使に対する菅原道真の考えを見てみましょう。
久しぶりの史料です!

  諸公卿をして〔1   〕の進止(しんし、進退のこと)を議定(ぎじょう)せしめむことを請(こ)ふの状
右、臣某(〔2   〕のこと)、謹(つつし)みて在唐の僧中瓘(ちゅうかん)、去年(893年のこと)三月商客(商人のこと)王訥(おうとつ)等に附して到る所の録記を案ずるに、大唐の凋弊(ちょうへい、衰退すること)、之(これ)を載すること具(つぶさ)なり。(中略)臣等、伏して旧記を検(けみ)するに、度々の使等、或は海を渡りて命(めい)に堪(た)へざりし者有り、或は賊に遭(あ)ひて遂に身を亡(ほろ)ぼせし者有り。唯(た)だ、未(いま)だ唐に至りて難阻飢寒(なんそきかん、旅の困難や飢えや寒さ)の悲しみ有りしことを見ず。中瓘の申報(しんぽう)する所の如くむば、未然の事(将来のこと)、推(お)して知るべし。臣等伏して願はくは、中瓘の録記の状を以て、遍(あまね)く公卿・博士に下し、詳(つまび)らかに其(そ)の可否(〔1   〕の派遣の可否のこと)を定められむことを。国の大事にして、独り身の為(た)めのみにあらず。且(しばら)く款誠(かんせい、まごころのこと)を陳(の)べ、伏して処分を請ふ。謹みて言(もう)す。
  寛平六年(〔3   〕年のこと)九月十四日
  大使参議勘解由次官従四位下兼守左大弁行式部権大輔 春宮亮菅原朝臣某(〔2   〕のこと)
(出典『菅家文草』(かんけぶんそう))

空欄にあてはまる語句は分かりましたか?
 1…遣唐使
 2…菅原道真
 3…894

内容を簡単にまとめると、

去年、唐にいる中瓘というお坊さんが、商人らに託して送ってくれた記録には、
唐が衰退している様子が詳しく書かれていました。
そこで、遣唐使の過去の記録を調べてみると、
唐に渡って任務を果たせなかった者や、賊に襲われて死んだ者はありましたが、
唐に着いてから、旅の困難や飢えや寒さにみまわれる者はいませんでした。
中瓘の報告通りならば、これから遣唐使にどのような危険が生じるか分かりません。
どうか中瓘の記録を公卿や博士たちで検討し、どうぞ遣唐使派遣の可否を審議してください。
これは国家の大事であり、私個人の身の安全のために言っていることではありません。
よろしくお願いします。

となります。

中国にいるお坊さんから「唐はヤバいよ!」ということを聞いた菅原道真が、
遣唐使の派遣を停止するべきではないか、と建議しているのです。

事実、唐は755~763年に起きた安史の乱(あんしのらん)以降、その権威を低下させています。
さらに875年ごろには黄巣の乱(こうそうのらん)が起こり、
反乱を率いた黄巣は、唐の都である長安を陥落させ、斉(せい)という国を建てて皇帝となっています。
斉はわずか5年ほどで滅んでしまいますが、もはや唐の衰退は明らかです。
そんなところに、わざわざ航海の危険をおかしてまで行く必要はあるのでしょうか。

しかも、このころには唐の商人が日本にやって来る機会も増えていて、
わざわざ唐まで行かなくても唐の文物がたくさん日本に入ってきているのです。
さきほどの中瓘の手紙だって、商人の手を通じて菅原道真のもとに届いていますもんね。

それに、遣唐使の留学費用は基本的に唐が負担してくれるのですが、
自分の国がめちゃめちゃなのに、留学生の待遇なんてとても期待できないわけですよ。
唐に渡っても、苦しい留学ライフが待っているのは明らかです。

894.jpg

これは…
行きたくないですよね…
行きたくない。

そこで菅原道真は、先の史料のような建議をしたのです。
史料のなかでも言っているように、ただ自分が唐に行きたくないだけではなく、
もちろん国家のことを思っての建議です。
遣唐使を派遣するには、じょうぶな船も作らなければならないし、
唐に持って行く立派なお土産も用意しなければなりません。
つまり、遣唐使を派遣するには、莫大な費用がかかるわけです。
遣唐大使である菅原道真は、
果たしていま、そんな遣唐使を派遣する意味はあるのだろうか、
という疑問をぶつけたわけです。

結果、彼の意見は受け入れられ、894年に遣唐使の停止が決定します。
ただし、菅原道真は遣唐大使のままです。
いずれ唐が元気になるまで延期にしましょう、といったところでしょうか。

そうこうしているうちに、901年に菅原道真が大宰府へと左遷されてしまい、
さらに907年には唐が滅んでしまいます。
唐の滅亡により、遣唐使は事実上廃止となるのです。

それでは今日のゴロ合わせ☆

894年.jpg



次回は、菅原道真が左遷(させん)される様子を取り上げます。
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かな

初めまして。今年受験生になり、こちらのブログを日本史の勉強に重宝させていただいております。年を覚えるのが苦手なので、イラストとともゴロが載っているのが本当に覚えやすく、内容も詳しく書いてあるので、本当に助かります。
ためになるブログをいつもありがとうございます!これからも楽しみにしております。
by かな (2017-07-16 11:50) 

春之助

かな様
嬉しいコメントありがとうございます。
更新のペースが遅くて申し訳ありませんが、復習に役立てて頂けたら幸いです。
ツラい受験勉強が、少しでも楽しくなりますように…
頑張ってくださいね!応援しています。
by 春之助 (2017-07-16 13:54) 

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