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810年 薬子の変がおこる [年号のゴロ合わせ]

たいへんご無沙汰しておりました!
相変わらずのろのろではありますが、本日より更新を再開します。



*   *   *

806年に桓武天皇が亡くなり、かわって息子の安殿親王(あてしんのう)が即位します。
平城天皇(へいぜいてんのう)の誕生です。
長岡京遷都のところでも触れましたが、彼は病弱です。
弟が皇太弟として平城天皇を支えることとなりました。

その平城天皇には、愛する女性がいます。
藤原種継の娘である藤原薬子(ふじわらのくすこ)です。
藤原種継の娘ということは…?
藤原ナニ家の人間か分かりますか……??

藤原式家ですよ!
これ、たいへん重要です!!
しっかり頭に入れておいてください。
忘れたなぁ~…という人は、まとめプリントで確認しておいてくださいね!!!

平城天皇と藤原薬子との出逢いは、彼がまだ安殿親王であったころにさかのぼります。
彼女の娘が安殿親王に仕えていたのですが、
まさかまさか、安殿親王は娘ではなくお母さんに惚れてしまったのです!
若い娘である自分じゃなくて、お母さんがみそめられたわけですよ!!
娘、とてつもなくショック!!!

てゆーか、藤原薬子って子どもいたの!?って感じですよね…

ハイ、夫もいますし、子どもなんて5人もいます!!
そんな女性に惚れちゃうなんて、どこが病弱なんだよ安殿親王……

まぁ安殿親王は、オジサンである早良親王の祟りによってか、
お母さんを早くに亡くしていますからね…
もしかしたら、藤原薬子に「お母さん」を求めていたのかもしれません…

しかし、これは立派な不倫です。
不倫を知った桓武天皇はおおいに怒り、藤原薬子を朝廷から追放してしまいます。
愛する女性と引き離されて、安殿親王はお父さんを恨(うら)んだに違いありません……

桓武天皇が亡くなると、安殿親王は即位するやいなや、藤原薬子を自分のそばに呼び戻します。
よっぽど愛していたのでしょうねぇ~…
ちなみに、藤原薬子の夫はこのとき大宰府に転勤させられています……
なんてかわいそう………

藤原薬子が戻ってきてくれてウキウキの平城天皇は、意欲的に政治に取り組みます。
ところが…わずか3年で病気になってしまうのです…
ひょっとしてオジサンはまだ自分のことを呪っているのか…とおそれた平城天皇は、
皇太弟に譲位し(嵯峨天皇の誕生です)、平城太上天皇となります。
そして、平安京を弟の嵯峨天皇に託して、平城京に戻ってゆきます……

平城太上天皇にとって、平城京は思い入れのある土地だったのでしょう…
病気になる前の思い出や、亡きお母さんとの思い出が残っているこの地でゆったり暮らせば、
病も癒えるだろう…と考えたのかもしれません。

しかし!

藤原薬子とすれば、心底おもしろくないわけですよ。
ダーリンが天皇でなくなり、あまつさえ都を去ってしまったわけですからね…
藤原薬子は、お兄ちゃんである藤原仲成(ふじわらのなかなり、もちろん藤原式家)とともに、
重祚するよう平城太上天皇に何度も勧めます。

そのころ、平安京の嵯峨天皇は、平城太上天皇が天皇としておこなった政治を改めようとします。
これを知った平城太上天皇はおおいに怒り、
嵯峨天皇のいる平安京と、平城太上天皇のいる平城京の対立が浮き彫りになります。
まるでどちらも朝廷のようではないか!ということで、
これを、「二所朝廷(にしょちょうてい)」と呼びます。

さらに、嵯峨天皇は平安京に新しく蔵人所(くろうどどころ)という役所をつくり、
藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)と巨勢野足(こせののたり)の2人を蔵人頭(くろうどのとう)に任命します。
天皇のそばで機密文書や訴訟を取り扱う、いわば秘書のような存在です。

蔵人所は役所の名称で、蔵人所の職員を蔵人(くろうど)、蔵人所の長官を蔵人頭と呼びます。
ややこしいですね~…
簡単に言うと、蔵人所が秘書課、蔵人頭が秘書課の課長、蔵人が秘書課の秘書たちって感じでしょうかね。
分かりますか?

810年.jpg

蔵人所が設置された結果、嵯峨天皇の周囲の機密は守られ、
平安京の様子が、平城太上天皇のもとにあまり届かなくなってしまいます。
そんななか嵯峨天皇は、平城太上天皇が天皇としておこなった政治を、ついに改革してしまうのです。

怒った平城太上天皇は、平安京を廃止して平城京に遷都せよとの詔を出します。
そう、太上天皇には詔を出す力があるのです!
まさに「二所朝廷」ですね。

対する嵯峨天皇は、遷都の詔を拒否し、藤原仲成を捕らえ、さらに藤原薬子の官位を剥奪(はくだつ)します。
もう完全にドロドロです…

平城太上天皇はついに挙兵を決意し、みこしに乗って藤原薬子とともに東国へ向かおうとします。
ところが、行く手を坂上田村麻呂をはじめとする兵が阻んでいます。
嵯峨天皇が先手を打っていたのです…

勝機がないことを悟った平城太上天皇と藤原薬子は、平城京に戻ります。
そして、平城太上天皇は頭を丸めて出家し、藤原薬子は毒をあおいで命を絶ってしまうのです…
このときすでに、藤原仲成は処刑されていました…

以上が、810年に起こった薬子の変です。
首謀者は藤原薬子だということで、「薬子の変」という事件名になっていますが、
最近では「平城太上天皇の変」という名称も使われるようになってきています。

薬子の変で重要なのは、
平城太上天皇サイドである藤原薬子・藤原仲成の藤原式家が没落し、
かわって嵯峨天皇サイドである藤原冬嗣の藤原北家が勢力をのばすことです。

藤原式家が没落し、藤原北家が台頭するきっかけは、薬子の変であったわけです。
ということで、これから活躍する藤原良房とか藤原基経とか藤原道長とか藤原頼通とかは、
みーんな藤原北家です。

なお、810年の出来事といえば、蔵人所の設置もあります。
蔵人所の設置と薬子の変、どちらが先か、分かりますね?
蔵人所の設置ののち薬子の変が起こった、この順番もしっかりおさえてください。

それでは、今日のゴロ合わせ☆

810.jpg



次回から、ちょっとだけまとめプリントに戻ります。
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コメント 2

佐藤

めちゃくちゃ分かりやすかったです…
知識が整理されましたありがとうございます
by 佐藤 (2018-10-31 00:04) 

春之助

佐藤さま

嬉しいコメント、ありがとうございます!
これからもよろしくお願いいたします。
by 春之助 (2018-10-31 00:22) 

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