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飛鳥時代(10) [まとめプリント]

律令制度のラストは、ややこしい租税制度をとりあげます。



飛鳥10.jpg

律令国家において民衆は、戸(こ)または郷戸(ごうこ)という組織に編成されます。
戸主(こしゅ)というリーダーを中心とする、家族+血のつながりのない居候(いそうろう)や奴婢(ぬひ)もふくめる、25人ほどの大きなグループです。

さらに717~740年ごろ、すなわち8世紀前半の一時期には、
戸(郷戸)を2~3つに分けて、房戸(ぼうこ)という組織が新設されました。
房戸は10人ほどのグループで、血のつながりのある家族で構成されるケースが多かったようです。

2~3つの房戸で1つの戸(郷戸)が構成され、
50の戸(郷戸)で1つの里(717年ごろから郷)が構成されたのです。

戸(郷戸)を単位として6年ごとに作成されるのが戸籍であり、
戸籍を基本台帳としておこなわれるのが班田収授法です。

班田収授法では、6歳以上の男女に口分田(くぶんでん)が与えられますが、
性別・身分によってその面積は異なります。

一般(良民+官有の賤民)の男子に与えられる口分田の面積は、2段(たん・反)です。
1段は360歩(ぶ)なので、360歩×2段=720歩となります。
ちなみに、1歩は3.3㎡なので、720歩は2376㎡です。
オリンピックの競技プール(50m×25m)2つ分よりすこし狭いくらいをイメージしてください。

女子に与えられる口分田の面積は、男子の2/3です。
一般女子は、720歩×2/3=480歩、すなわち1段120歩の口分田がもらえることになります。

また、奴婢(私有の賤民)の口分田は、一般の1/3です。
奴(ぬ・賤民の男子)は、720歩×1/3=240歩
婢(ひ・賤民の女子)は、480歩×1/3=160歩となります。

ここでいう奴婢とは、五色の賤のうち私有のもの、すなわち家人と私奴婢をさします。
官有の陵戸・官戸・公奴婢は一般と同額の口分田が班給されますので、注意してください。

ちなみに、口分田は売買が許されず、死ぬまで耕し続けなければなりません。
死者の口分田は、6年ごとの班年(はんねん)に収公(国家が回収すること)されます。
班年とは、口分田が班給される年のことで、だいたい戸籍調査の翌年となります。
戸籍調査の段階で6歳以上になっていなければ、口分田の班給は次の班年まで待たねばなりません。

飛鳥10-1.jpg

6歳になりましたねハッピバースデー!と、すぐにもらえるわけではないのです。

さて、このころ田んぼは国家の手によって6町四方に区画されています。
一辺を条(じょう)、もう一辺を里(り)と呼んで、○条○里で土地の場所を示します。
これを条里制(じょうりせい)といいます。
都の条坊制(じょうぼうせい)と混同しないよう注意して下さいね!

次に、民衆の負担を見ていきましょう。

毎年作成する計帳(けいちょう)を基本台帳に、民衆には様々な税が課されます。

まずは課役(かやく・かえき)です。
庸(よう)・調(ちょう)・雑徭(ぞうよう)をまとめた名称で、特権階級である貴族は免除です。
これを負担するものを課口(かこう)と呼び、
課口がいる戸(郷戸)を課戸(かこ)、課口のいない戸(郷戸)を不課戸(ふかこ)と呼びます。

課役は17~65歳の男性が負担します。
17~20歳の男性を、中男(ちゅうなん)または少丁(しょうてい)、
21~60歳の男性を、正丁(せいてい)、
61~65歳の男性を、次丁(じてい)または老丁(ろうてい)と区分します。
なかでもとくに正丁という成人男性の負担はハンパないです。

庸は、歳役(さいえき)とよばれる都での労働です。
正丁は年間10日、次丁はその1/2で年間5日、中男は免除と定められています。
しかし、たかだか10日とか5日の労働のためにわざわざ都まで出向いてられませんので、
大部分が麻布を納めることで代わりとしました。

では、道路をつくったり、朝廷の建物をつくったり、寺院をつくったり、それらを修理したり…
土木工事がさかんにおこなわれる都の労働力はどうするのかというと、
都の近くに住む人々が駆り出されることでまかなわれました。
よって、京・畿内に住む人たちの庸は免除です。

調は、諸国の特産品を1種納めることです。
正丁はもちろんのこと、次丁は正丁の1/2、中男も正丁の1/4がそれぞれ課せられます。
さらに正丁は、調の副物(ちょうのそわつもの)というものまで課せられました。

この庸と調の納入先は、都です。
都までこれらを運ばなければならないのです。
庸と調を都まで運ぶものを運脚(うんきゃく)といいます。

交通網が整った現代でも、わざわざ東京まで税金を納めに行かなければならない、とか面倒ですよね。
この時代、重い庸と調を背負って都まで歩くんですよ?その間の食料はもちろん自前です。
もう超タイヘン…
東北地方から都までだと、1ヶ月以上も歩き続けなければならないんですよ…
想像もつきませんね。
ちなみに、九州に住んでいる人は、大宰府が納入先となります。

雑徭は、年間60日を限度とする地方での労働です。
国司に呼び出されて、道路の修築をはじめとする土木工事なんかをやらされます。
ときには国司の私用に使われることもあったそうです。
正丁は、そんなもんのために2ヶ月も田んぼを留守にしなければならないのです。
まったく公私混同はなはだしいですね…
次丁は正丁の1/2なので年間30日、中男は正丁の1/4なので年間15日が上限となります。

さて、課役以外の負担を見ていきましょう。

兵役は、正丁3~4人に1人の割合で兵士として徴集され、各地の軍団において交代で勤務します。
その間の食料・武器は自弁、すなわち自腹です。
なかには、衛士(えじ)や防人(さきもり)に選ばれるものもいます。
衛士となれば都へ赴き、左衛士府・右衛士府・衛門府に配属されて1年間都の警備にあたります。
防人となれば大宰府へ赴き、3年間北九州の防衛にあたります。
この間、庸と雑徭は免除です。
また、3年間都で雑用をさせられる仕丁(しちょう)というものもあります。

一番の働き手である成人男子が、兵役や仕丁、また運脚などでながらく家を留守にすると、
残された家族も大変なんですよね…
その人の口分田をみんなで耕して、租を納めなければならないわけです。

租は口分田にかかる土地税で、口分田を班給された6歳以上の男女すべてが負担します。
田んぼ1段につき、稲を2束2把(にそくにわ、1束=10把)納入しなければなりません。
田んぼ1段あたりの平均収穫量は稲72束だそうで、税率は3%です。

出挙(すいこ)は、春に稲を貸してもらい、秋に利息つきで返済するという制度です。
もともとは農民の生活維持のために豪族たちがおこなっていた仕組みだったのですが、
次第に強制的な税になってゆきます。
豪族たちがおこなう私出挙(しすいこ)は利息が10割、国家がおこなう公出挙(くすいこ)は利息が5割です。

あとは、凶作にそなえて粟(あわ、栗(くり)ではありませんよ!)を納入し、貯蓄しておく義倉(ぎそう)があります。

たいへん長くなりましたが、以上で律令制度は終了です。

最後に解答をのせておきましょう。

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次回は古代の行政区画をとりあげます。
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