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飛鳥時代(6) [まとめプリント]

今回は、天智天皇亡き後の政治を見ていきましょう。



飛鳥6.jpg

天智天皇の死後、皇位継承争いが発生します。
天智天皇の弟である大海人皇子と、天智天皇の子である大友皇子との争いでしたね。
これを壬申の乱と言います。
詳しくは、672年のゴロ合わせを参考にしてください。

壬申の乱で大海人皇子が勝利し、彼は都を近江から飛鳥に戻します。
飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)です。
大海人皇子はここで即位し、天武天皇となります。

天武天皇の業績はたくさんあります。

たとえば日本最古の銭貨(せんか、コインのこと)である富本銭(ふほんせん)を鋳造したり、
八色の姓(やくさのかばね)という新しい身分秩序をつくりました。
また、「天皇」や「日本」という称号も、この頃から使われ始めたと言われていましたね。

ただ、存命中に完成しないものもありました。
飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)の編纂と、藤原京の造営です。
いずれも、奥さんである持統天皇の時代に完成を迎えました。
藤原京の遷都については、694年のゴロ合わせを見てくださいね。

694年のゴロ合わせでも書いたとおり、天武天皇が亡くなった後、
奥さんの鸕野讚良(うののさらら)は息子の草壁皇子を即位させるつもりでした。
そのために、天武天皇と姉の子である大津皇子を自殺に追い込んだとも言われていましたね。
ところが、肝心の草壁皇子が病のためこの世を去ってしまいました。
草壁皇子の息子、つまり彼女の孫はまだ7歳です。
小学校入りたてぐらいの子が天皇というのは、やはりキビシイ…
そこで、彼女は孫が大きくなるまでのツナギとして、自ら天皇となったのでしたね。
これが持統天皇です。

飛鳥6-1.jpg

彼女の業績としては、先ほど述べた飛鳥浄御原令の施行や藤原京遷都のほか、
庚寅年籍の作成があげられます。
詳しくは690年のゴロ合わせをご覧下さい。

そしていよいよ持統天皇は孫に天皇の位を譲ります。
日本史史上、2例目の譲位ですね。
ここにわずか15歳の文武(もんむ)天皇が誕生し、持統天皇は初の太上天皇となりました。

文武天皇の業績といえば、大宝律令の制定です。
大宝律令については、飛鳥時代(8)飛鳥時代(9)で詳述します。

それでは、今日の解答です。

飛鳥6解答.jpg



次回は、天武・持統夫婦の時代に花開いた白鳳文化をとりあげます。

画像出典
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E6%9C%AC%E9%8A%AD
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E4%BA%AC#/media/File:Fujiwarakyo2.gif
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