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630年 最初の遣唐使を派遣する [年号のゴロ合わせ]

前回は、607年に小野妹子が遣隋使として中国に派遣された話をしました。



では、最初の遣隋使の派遣は一体いつだったのでしょうか。
『隋書』倭国伝には、以下のような記述があります。

開皇(かいこう)二十年(600年のこと)、倭王あり、姓は阿毎(あめ)、字(あざな)は多利思比孤(たりしひこ)、阿輩雞弥(あおきみ、大王のことか)と号す。使を遣(つかわ)して闕(けつ、王宮のこと)に詣(いた)る。上(しょう、〔1   〕のこと)、所司(しょし)をしてその風俗を訪(と)わしむ。

空欄1に入る皇帝の名前は分かりますか?
ここは煬帝ではありませんよ、彼のお父さんにあたる隋の初代皇帝文帝(ぶんてい)です。

史料によると、600年に倭王のアメタリシヒコが遣隋使を派遣しています。
その使者に対し、文帝は所司という家来を通じて倭のことを色々と尋ねた模様です。
これが『隋書』倭国伝に見える遣隋使の最初です。

ところが、『日本書紀』にはこの記述がないのです。
初めての遣隋使の派遣なら、しっかりと書きそうなものですけどね…
なので、実際に文帝のもとへ遣隋使の派遣がおこなわれたかどうかはイマイチはっきりしませんが、
一応、いまのところ最初の遣隋使の派遣は600年ということになっています。

ちなみに、小野妹子のことについて『日本書紀』は以下のように記述しています。

(推古天皇十五年(607年のこと))秋七月庚戌(かのえいぬ)、大礼(だいらい)小野臣妹子(おののおみいもこ)を大唐(もろこし)に遣はす。鞍作福利(くらつくりのふくり)を以て通事(おさ、通訳のこと)とす。

607年に遣隋使が派遣されたことは、『隋書』倭国伝にも、『日本書紀』にも記述がありますので確実です。

ところで、最後の遣隋使とは誰だったか覚えていますか?

犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)です。
ちょっと漢字と読みがややこしいので注意してくださいね!

630.jpg

彼は遣隋使としての経験をかわれ、のちに最初の遣唐使としても中国に渡ります。

では、最初の遣唐使は何年に派遣され、またそのときの天皇は誰であったか覚えていますか?

最初の遣唐使の派遣は630年。
隋は高句麗遠征の失敗などにより、618年に滅んでいますからね。

さぁ、次は難しいですね。
最初の遣唐使を派遣した天皇は…舒明(じょめい)天皇です。
分かりましたか?

なんせこの舒明天皇…カゲの薄い人で……
嫁が皇極(斉明)天皇、息子が天智天皇と天武天皇ということで周囲のキャラはずいぶん濃いんですけどね…
彼の功績として覚えることと言えば遣唐使の派遣くらいです。
でも、漢字が難しいので気をつけて下さいね。
一文字目は「舎」に「予」ではありませんよ、部首は「舌」ですからね~。

それでは、今日のゴロ合わせ☆

630年.jpg



次回はいよいよ大化改新に入ります。
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