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538年 仏教が伝来する(戊午説) [年号のゴロ合わせ]

前回、ちらっと当時の日本は百済と仲がいい、と書きました。
たとえば4世紀、ヤマト政権は百済からプレゼントをもらっています。
百済の王が、高句麗に対して背後をかためるため、倭の王に対して送った鉄製品です。
分かりますか?

一度見たら忘れないアノ形…
そう、石上神宮七支刀(いそのかみじんぐうしちしとう)です。
立てたら砂漠のサボテンくんみたいな形のものです。

数年前に、奈良県にある石上神宮で直接拝見する機会を得たのですが、
いまでも銘文を確認することができました。
そのとき伺ったお話によれば、そんな古いものということはすっかり忘れ去られ、
明治ころまでは儀式に使われたいたそうです…
文化財の歴史というのは大切に受け継いでゆかねばならないですね…



さて、その百済から6世紀に仏教が伝来します。
538年に伝来した、と記す史料が2つありますが、覚えていますか?

『上宮聖徳法王帝説』(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ、かっこいい名前…)
『元興寺縁起』(がんごうじえんぎ)

ですよ。

前者は、「聖徳」という文字が入っていることからも分かるように聖徳太子の伝記です。
ちなみに、聖徳太子の一族は「上宮王家」(じょうぐうおうけ)と呼ばれました。
後者は、蘇我馬子が飛鳥に建立した法興寺(飛鳥寺)が、平城京遷都にともない移転してできた元興寺の縁起です。
縁起というのは様々な意味をもちますが、ここでは「由来」と考えてください。

では、『上宮聖徳法王帝説』を見てみましょう。

志癸嶋(しきしま)天皇(〔1   〕のこと)の御世(みよ)の戊午(ぼご)の年(〔2   〕年のこと)十月十二日、百斉(はくさい)国(〔3   〕のこと)の主明王(しゅめいおう、〔4   〕のこと)、始めて仏像経教并(あわ)せて僧等を度(わた)し奉る。勅して〔5   〕宿禰(すくね)大臣に授けて興し隆(さか)えしむ。

短い文ですが、空欄に入る語は分かりましたか?
 1…欽明(きんめい)天皇
 2…538
 3…百済
 4…聖明王(せいめいおう)
 5…蘇我稲目(そがのいなめ)

欽明天皇の時代、百済の聖明王が日本に使者を派遣し、仏像や経論などを伝えたようです。
このとき、大臣(おおおみ)の蘇我稲目に白羽の矢が立ちます。
欽明天皇から、異国の宗教である仏教とやらを信じてみろ、と言われたのです。
彼はどんな気持ちだったことでしょうね…
現在も日本に広く浸透している仏教は、彼の「信仰しよう!」という決断に始まったのです。
そう考えると、蘇我稲目の決心はものすごいものです。

『元興寺縁起』にも戊午年、すなわち538年に仏教が伝来した、と書かれているので、
現在はこの年に伝来したとする説が有力です。
これを戊午説といいます。

ここで、今日のゴロ合わせ。

538年.jpg

これで覚えてしまいましょう!

なお、仏教伝来の年については、他の説もありましたよね。
それについては、明日お話しします。



それでは、今日はここまで☆
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